2017年1月2日月曜日

詩集「コネコのコゴト」 「人間観察」編

詩集「コネコのコゴト」とは
作家パセリによる2005年から2017年現在までの十一年間
ホームページ上で掲載されたコラムです (現在も連載中)


サルトルと利休
 サルトルが言うように
 
 人は他者のまなざしによって対象化されひとつの

 もの

 となる
 無論 意識的なまなざしは

 表面的な 外からの攻撃にちかい
 しかし それ以上に思想による

 他者の包括は サルトルの言う

 まなざし

 以上に人を内面から殺す
 利休が秀吉にしたように
 意識的なまなざしを向けて人を愚弄した人々が

 対象に意識的に完全に無視されている時

 まなざしを向けた人は 秀吉
 人間観察の限界は そこにある


最後尾のカタツムリ
 最後尾とは
 一番物事を見渡せる場所 自分の後ろには誰もいない
 
 見られていない じっくり見渡せる

 人間観察とは
 自分を最後尾にもってくる作業 家で寝ころんでテレビを見ている状態
 見渡せていることに気をとられて 実は最後尾ということに気づかないと
 
 生涯 悲惨な目にあう
 そして 人間観察をしている人が 他の者により観察されること
 最後尾の醜い争い
  
 最後尾の俯瞰に慣れてしまうと
 いつまでも 最前列には進めない

 気をつけないと 見る能力だけが養われ
 見られる能力がなくなってしまう
 以外に観察眼のある連中に大勢の前で何かしてもらうと
 手が震えて何もできない光景をよくみる

    
 最前列とは
 
 常に見られている
 
 トップの重圧と責任に耐えうることのできる人

 あえて見られてあげてるという余裕 ゆとりがある大人 

人間観察者の観察

 「あなたのご趣味は?」
 
 「人間観察している人を観察することです」



人間観察における不確定性原理
 
 人を客観視する人は
  
 物事の表面しか見ていない
 観察されていることに気がついた人は
 本来の自分を行動に投影しない
 観察している人の下している判断は
 間違ったものになる


(いや)しい視線
 どうも 貪欲で下世話な観察力 を好きになることが出来ない
 好奇心の否定ということでもないし
 目に見えない力の肯定でもない
 その行為自体に人として醜(みに)さ 汚らしさ
 を感じてしまうからだろう

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