2017年1月2日月曜日

詩集「コネコのコゴト」 「教えられたこと」編

詩集「コネコのコゴト」とは
作家パセリによる2005年から2017年現在までの12年間
ホームページ上で掲載されたコラムです (現在も連載中)

絶望 イコール 苦悩 マイナス 意味

 東京大学先端科学技術研究センター

 福島智教授がテレビで興味深いことをいっていた

 ヴィクトール・エミール・フランクルの言葉で

 絶望=苦悩意味

 という方程式

 意味という項が0であれば苦悩はそのまま絶望になってしまうが

 苦悩と対等 またはそれ以上の意味を見出すことが出来れば

 絶望はなくなるというものである
 
 言い換えれば 意味のない苦悩が絶望である
 
 この式の面白いことに右辺の「意味」の項を左辺に移項すると

 絶望+意味= 苦悩

 となり 絶望に何らかの意味を付けてしまうと苦悩になる

 とも解釈できる
 
 代数と哲学は一緒にはできないが

 何か生きるヒントをもらえたような気がした







吉本隆明の「表現とその相互作用」 そして「沈黙の建築」について

 
NHKで放映された吉本隆明の講演会のなかから興味深い一文を取り上げたい


以下 引用
「表現って何かというと これは いってみれば自然と自分との あるいは 広く言えば 自然と人間とのどうしてもそれなくしては成り立たない つまり交通路というのが表現なんだと
そうすると人間がある表現をすると必ず自然は 表現しただけ変化します
これは誰でも同じことですし 精神的な労働であろうと 肉体的な労働であろうと あるいは学者さんのようにもっぱら考えること それから述べることをする そういう仕事であろうと そういう風に自分が何かを表現すると必ず表現した自分も同時に自然のほうから逆に表現されてしまいます
つまり どんな学者さんがものを考えているだけで机に座ってものを考えているだけでとか 実験をしてものを考えているだけとか 科学者の人とかそういう人とも それをやっていくと自然に科学的な人間になったり 文化的な人間になったりしているわけです
この変化は要するに何かといいますと自然との相互作用なわけですよ
つまり自然に人間が何かを加えようとすると 必ず加えようとしただけ 加えようとしたように人間に 人間のほうも逆に変化させられるわけです
あるいは変化するわけです
だからそこのところはとても重要なもんですから 人間と自然との間では要するにあらゆる自分のやったこと いったこと それから考えたこと それらがみんな人に伝わっていないようにみえて 勝手な片言を言っているようにみえても 自分も同様に変化し そして同時にまた自然をも変化させてるんだよという そういう相互関係は付きまとうわけです・・・」
引用 ここまで

また 吉本隆明の若い頃の自費出版の詩集「固有時との対話」のなかで


以下 引用
「わたしは わたしの沈黙が通うみちを長い長い間  索していた
 
・・・
(中略)・・・

わたしが言うべくして秘めてきた たくさんの言葉が
いまは沈黙の建築をつくりあげている」
引用 ここまで


私にとってこの言葉は とても大きな意味をもつようになった
なぜなら 現実の社会がおかしいと考えながら
沈黙の建築
を黙々と築き上げてきた人々にとっての社会に対する表現への
大きなきっかけを与えてくれる言葉
として自然と人間との相互作用と変革を提示してくれているからである
 
また吉本隆明は芸術言語論という概念の中で以下のように表現を二分する 
自己表出:たとえば花をみてきれいだなという独り言のような表現で人とのコミュニケーションのために発する表現ではないもので 自分との対話的なもの
指示表出:その花はきれいだね と人に伝えるためのコミュニケーションとしての表現
そして 沈黙の建築は前者に含まれるし ある意味 後者にも含まれる


 

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