2017年1月2日月曜日

詩集「コネコのコゴト」 「クソい人々」編

詩集「コネコのコゴト」とは
作家パセリによる2005年から2017年現在までの十一年間
ホームページ上で掲載されたコラムです (現在も連載中)



 バブル 負の遺産
 
 バブル時代の無謀で無責任なワイルドさ(杜撰さ)と比較して
 現代の若者をひ弱だとか言っているバブル時代の連中は
 本当の強さとは何なのかをもう一度考えるべきだろう
 誰しも与えられた忙しさに盲目的にかまけることほど楽なことはない
 その義務的な仕事に何年も耐えたなどとほざく連中は
 無から有意義なものを生む苦しみをいまだに知りえていない
 「あの時代は良かった 君たちはかわいそうだ」と言われたことがある
 当時の大人たちは お立ち台にあがり 浮かれていた
 こども心に ああいう大人にはなりたくないものだ と思った
 今の日本は このザマだ その連中がいなくなるまで
 おれたちは その糞まみれの尻を 拭き続けなければならない
 そして おれたちは 同じことを繰り返してはいけない


 
摘芽
 人の勤勉さを否定する人々

 遠い昔 自分の勤勉さと思われるものが報われなかった経験から

 勤勉な人を見つけると 間違った己の経験に基づき他人を否定したがる
 
 おっさん、遠い昔のその勤勉さは本物だったのかい?

 努力しないための逃げ道を含んでいた勤勉さではなかったのか?
 ものすごい集中力を伴う勤勉さと視野の狭さを虚しくも結び付けている

 卑しい人々はいなかったか?
 その根拠は どこにもない
 
 ただ言えることは学ぶほどに そして学び続けることで視野は広くなる
 
 しかしどこの世界でも うぬぼれ交じりの勤勉さでは報われることはない
 
 いい大人なら いたずらに 勤勉な若者の芽を摘むのはよさなければならない


 
糞野郎 と 糞餓鬼
 ある大人(クソ野郎)は 若者の
 ”可能性を妬む”
 ことからの反動にかられて
 自らの経験を過信しすぎて
 愚かな間違いに気づかない
 

 ある若者(クソ餓鬼)は 
 大人からの
 ”幼さの俯瞰(ふかん)
 に怯えて 何もできないでいる 
 自らの可能性を過信しながら
 それでいて 失敗を恐れる子供 




 
本物の英雄

 人に対して高慢な態度をとる人は
 
 そのように振舞うことのできる根拠を持っている

 どこかしら 過去の自分でも見ているような

 軽蔑的な目を ちらつかせながら
 
 
 一時的な感情に流されること無く 高慢な人々の言動に耳を傾けてみると
 
 案外 新たなフェーズに成長できるヒントが隠されているものだ
 
  
 だけども 高慢な態度をとる人は
 
 結局その瞬間 今の自分に満足しているだけ 
 
 本物の英雄は 常に今の自分に懐疑的
 常に変化し続けている
 その苦悩のハザマから見え隠れする
 光を放った自信だけが本物なのだろう




間抜けな自信家

 無駄に自信に満ちている人は

「私は 自分にかなり自己満足してるので 誰の意見も聞きません」

 と背中に張り紙をして歩いているようなもの





人の器
 器がおおきそうで 懐の深そうな人には 何を言っても吸収してくれそうな
 大きな感受性がありそうなので 安心して物事を言える 
 器の小さい人は 人に何も言わせないために 常に何かで牽制している 

 相手に何も言わせなかったので 牽制が成功したとして 喜んでいる 

 だけど 恐ろしいことなのだが 牽制している人々は 世間から

「私は臆病で 器が小さいです! 
 それに あなたの意見を聞き入れるだけの 包容力がありません!」

 と背中に張り紙をされている

 牽制とは 野球でもそうだが
 受け取ってくれる野手がいないと成立しない 

 牽制球が誰にも完全に無視され 受け取ってくれる野手がいなく
 ファウルグラウンドに転々とボールが転がっている様を想像してみるがいい
  
 昔 フランスの議会で

「相手に意見を言わせないことは 自分の負け
 を認めてしまっているようなものだ」
 という類の言葉があった
 

 現代において そのような人を見るとき 一瞬だが
 中世の欧州にでも タイムスリップしたような錯覚を覚える 


  
  
幼虫

 ある人の ある部屋の床に一匹の幼虫が歩いていた
 
 部屋の住人は その幼虫に気づき
 
 「この幼虫は ここにいるべきではない 土に返そう」
 と思う
 
 そして 外の土の上に置いた

 ある人は その光景をみて 
 「やさしい人だ」 
 と感じた

 また 別の人は 
 「あんなことをしたら 鳥の格好の標的になるに違いない 残酷な人だ」 
 と 思った

 また 別の人は
 「鳥に対しては やさしい人だ」 
 と思った

 人の行為 そして それに対する感想は

 「焦点」

 によって 全く異なる

 行動をする時 意見を言う時
 感じられかたは様々で どれが正しいともいえないから
 結局好き勝手に行動してしまったほうが人生は勝ちだと
 勘違いしている 幼虫が 
 地球上に たくさん うごめいている
 そして 鳥たちの 無邪気な食欲による 格好の餌食になる



組織の中の能力

 ある未熟な組織の中で できる人 とか できない人
 という評価は その未熟な組織の中でいかに周囲から
 負け癖 をつけられたか否かで決まってしまうことがある
 その人の本当の能力を判断する材料は
 組織の中での表には見えづらい何かであることのほうがむしろ多い

 どこの組織にも眼を光らしてまわりを わざとらしく 見回し
 
 物事に気づいたそぶりを アピールする 愚か者がいる
 
 そんなアホと話をしてみると 案の定 物事の表面的なことしかみえていない
 
 物事の重要な本質は 見ることの出来ない形而上的(メタ:metaphysical)
 部分にあるということに 気づけていない
 
 組織にこんなマヌケがうろついているので いい人材が 流出するのだろう
 そんな人は もういちど 「星の王子さま」 を読んだほうがよい




馬鹿の説法
 世の中というのは不思議だ
 
 「釈迦に説法かもしれないが・・・」
 とか
 「私は頭が悪いから・・・」
 といっている人々は 反対に自分のことを頭がいいと
 思えているから わざわざ前置きを言える
 頭が悪いと思われたくないから その前置きを言っている

 慣用句も使いようによって自滅を導く





結果論への布石
 大げさな批判は 結果論への布石である




過剰親切
 
 「過剰に」親切な人は常に相手に救いが必要であると考えている時点で
 自分が相手よりも優位であると無意識のうちに思い上がっている
 ことに気がついていない
 「過少に」親切な人は常に相手に救いが必要ではないと考えている時点で
 自分が相手よりも無力であると考え 本当に困った人の気持ちがわかるので
 心から本当に必要な親切ができる



悟る馬鹿
 緊急時において ある種 透徹しすぎた
 「悟り」 は 「逃げ」 とほぼ同義
 
 悟る暇があるくらいなら 打開策を探るべきだ 

 悟った自分に酔いしれているよりは・・・ 




狂犬病
 独り言のように発狂する人や

 帰り際に毒を吐いて逃げる人も結局は
 負け犬の遠吠え なのだろう
 怒りの対象に直接正当な物事を言うことができなかった

 そして 正当な回答を聞き逃したことに対する
 負け である



生兵法(なまびょうほう)
 生兵法
 悟られぬために
 口数多く
 (※生兵法:なまかじりの知識・技術)




大発見の原理
 自分の遊びや趣味による偶然の誘発がいい発見を生む
 と正当化している連中を観たときにいつも思うのは
 良い発見の大前提として
 「一生懸命脳から血が出るくらいに考えあぐねた結果」
 という前提をすすんで否定し
 趣味や遊びに逃げている悲しい人々が
 いかにこの世の中をだめにしているのかを
 考えずにはいられないことがある




 趣味由来
 実社会における自分の発想の由来を
 自分の趣味からの由来 と 無理に こじつけ ようとする人ほど
 
 みていて惨めなものはない




脳タリン
 自己満足的で 高圧的な人間は
 
 自分の勝てる世界でしか
 
 生きていないので
 
 少しハイレベルな社会に出てくると
 
 今までの温床でふやけたせいで
 
 簡単につぶされる
 
 必要以上に社会で卑屈な人間は
 
 自分独りの世界ではせめて高貴でいるので
 
 普通の社会に出てくると
 
 現実とのあまりのギャップに
 
 現実逃避をしながら 
 
 偽善的平和主義に陥る
 
 高慢な人間
 
 卑屈な人間 
 
 どちらも 人生をすり減らして生きているのさ



自分 理解不足
 姑息なことを言って自分を賢く見せようとする人
 反対に自分を本来の自分以上に馬鹿に見せようとする人
 どちらも自分というものをよく理解できていない



AとB
 A
  自分が簡単だと思うことを人がやっていると
  
  喜んで飛んできて会話に交じる人がいる
   
  自分が勝つようにするために
  
  
  自分が難しいと思うことを人がやっていると
  
  なるべく近寄らないようにしている人がいる
  
  自分が負けないようにするため
 
 B
  自分が簡単だと思うことを人がやっていると
  
  なるべく近寄らないようにしている人がいる
  
  そこから得るものがないから
  
  自分が難しいと思うことを人がやっていると
  
  喜んで飛んできて会話に交じる人がいる
  
  そこから得るものが多いから
  
  いつの時代もAとBは相性が悪く 結局

  A
=あほ
  B
=間抜け

  という評価になる





世の中の仕組み
 
 馬鹿もエリートも
 
 自分より頭のいいことをされると
 
 怒り出す




非効率的建造物
 
 試験で点数の高い人は自分を疑いすぎている
 
 ありもしない憶測で頭の中が溢れかえる
 
 試験で点数の低い人は自分を疑う力に乏しい
 
 自分に虚構の大きな自信をもっている
 
 世の中とは 両者の非効率的な建築物で成り立っている





心のゆとり
 物事に対する無関心が 心のゆとりの無さ なのではなく

 無関心を引き合いに出して

 心にゆとりがないと思わせようとする姑息な人々ほど
 心にゆとりが無いといえる
 ただ これだけは 言っておかなければならない
 装う無関心には 罪はない
 無関心には 罪がある




ルーズはルールの母

 ある人々が
 
 ルール を決めなければならないような
 ルーズ な行いを頻発するから 要りもしない余計な
 ルール がどんどん増えていく
 健全にマナーを守って生きている人々にとっては 迷惑な話
 マスゴミは煽るように 健全なマナーの人々に向かい
 不必要に偏った注意を促す
 
 ルーズ な行いをする人々以上に ルーズ な現象
 ルーズな当人に真正面から 注意を促せない母数の反動が 
 組織ぐるみでそれを許している
 ルーズな連中もそれをみて ただ くそ笑んでいる
 損をしているのはいつも
 ルール を守っている
 真正面から正しいことを言う人々




姑息な人々
 自分で勝手に良しと思い込んでいるらしい世間のルールをほのめかし
 そのルールを破った相手に 勝手に腹をたてた感情をみせて
 
 相手が悪いかのごとく非難し イニシアチブをとろうとする

 姑息な人々

 本来 マスコミにたたかれるべきなのは そんな 人々ではなかったか?
 
 今では マスコミがそれを演じている



偽善者・偽悪者を見破る方法
 彼は悪ぶっていたが
 実際に悪のレッテルを貼ってやったら
 幾分 尻込んでいた
 彼はお利巧にしていたが
 実際に善のレッテルを貼ってやったら
 幾分 尻込んでいた
 偽善者・偽悪者は 容易に見破ることができる





人の値打ち

 その人が何をリスペクトしているのかを観察してみれば
 その人の値打ちが分かる
 その人が何で笑うのか以上に
 そして自分しかリスペクトできない人の値打ちは
 いうまでもなくゼロである



 言うは易し
 言われるは難し




臆病者の誤解

 臆病と呼ばれることに臆病になって
 無理に行動することは
 臆病者のすることだ



敗北感

 痛烈な敗北感 それは 自分が優れていると勘違いしていたこと
 に対する適切な代償
 だから 謙虚な人々には はらわたが煮え返るような敗北感はない 
 むしろ 敗北感から逃れるために謙虚になった人々は
 もう一度 この敗北感を 味わうべきだ



ブルジョアエリート
 あのブルジョア的にエリートな
 子供たちの目を見てみるがいい
 あの中途半端に完璧を求める目を
 それはすべて その周りの大人たちが
 無意識的に種を撒いた
 自発的に完璧を求める体質を養うことに
 失敗したのだ




叱られるべき大人たち
 
 叱る大人

 がいなくなったから子どもがおかしくなったのではなく

 子どもの悪事を的確に指摘できる大人

 がいなくなったから子どもがおかしくなった

 昔を回顧し

「昔はよく子どもを叱る大人がいたものだ」

 と 叱る大人を無条件に肯定している大人たちがいる
 
 考えてみれば 叱りの内容に説得力がなくただの

 脅しの手段 でしかないのであるならば 

 そんな大人たちは子どもたちに

 叱られるべきだ


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